追憶の日常

想い出、過去、記憶

臓器提供

考えていた。

もし自分の身に万が一のことがあった時、臓器提供の意思はどうしようか。

まず、親のことを考えた。もしもの時、自分の子供が臓器提供することを望むのか望まないのか。自分だけで決められることではないと思うし、決めてはいけないと思ってた。

今日、母に聞いたら、答えは「してほしくない」だった。

植物状態になった時、心臓は動いていてまだ生きているのに、本人が臓器提供意思表示カード等に臓器提供の意思があることを示していたりしたら、その家族は同意書にサインすることを求められる。サインした瞬間、本人は手術室に運ばれ呼吸器を外され、生きた状態で体を開かれ臓器を摘出されていく。

その時の残された家族の心情は計り知れない。

某人気医療ドラマでは、不慮の事故による臓器提供患者の家族は気持ちに折り合いをつけて受け入れる描写があるが、実際はもっと酷く打ちひしがれ泣きわめくようなものだろう。綺麗事では収まらない。

そんな話を母はした。

たとえ、臓器提供をすることで助かる人や命があったとしても、残された家族の悲しみや苦しみを考えればそれは臓器提供をしないという意思の理由として成り立つのだと思う。

私は大切な人の臓器提供の意思を尊重できるだろうか。

少なくとも、残された家族の気持ちを想像した私は臓器提供はしない。